30年以上経って、
初めて知った父の気持ち。
私は子供の頃から
“自立して自分で生きれるように
資格を持ちなさい!”と
結構厳しく
(子供の私にとってはそう感じていた)
教育された父のおかげで
“勉強すること”が当たり前でした。
そして、若さの賜物で
一度聞いたら、
しっかり覚えているほど
(今となっては、とっても喉から手が出るほどに欲しい能力)
なかなかの記憶力のおかげで
もれなく反抗期の中学時代は
ペン回しの練習しながらも
授業中の先生の説明を聞いて
なぜかすぐ記憶していました。
(それもあって勉強も楽しかったのかもしれない)
その上に
厳しい教育のおかげで
学校から帰宅すると
まじめに
復習と翌日の予習をして
テストも
それなりにこなせていました。
でも、それも中学校まで。
入学できた高校では
ついていくのが必死。。。
(進学高校ゆえに、
天才とはこのこと!と
感動するほどに
頭の回転や記憶力が長けている同級生溢れて、
ついていくのが必死…
と言うか、ついていけないことも多々で
人生初の赤点を、よく日本史でとっていました)
高校三年生になり
大学受験では
四苦八苦。
やはり
“行きたい大学”より
“合格できるであろう”ところを
考えたり
選んでしまう…
今の時代に考えると
おかしな話かもしれないですけれど…
私が大学受験をするのに
自分のことだけでなくて
受験やその後のことに
お世話になる両親や
一生懸命向き合ってくださる
担任のことも
忖度する私。
そして、その頃の
大事な娘を県外に出したくない
父親の思い。。
そうして後期試験は
地元の鹿児島を選ぶようにと
父からの強い意見で
あまり興味もない学部を
(ほんとごめんなさい、父の思いを叶えるために)
気持ちは前向きではないけれど
受験して合格しました。
だからこそ
態度も反感的だったはず。。
その時の話を
30年経って、
久しぶりに囲った食卓で
父から
“あの時はねぇ、
遠くに行ってほしくなくて
無理言って
地元を受けるように言ってしまって、
気持ちが向かないのに
受けてくれたことも
分かってたんだよね、
ごめんねぇ…”
って気持ちを
初めてポツリポツリと話してくれました。
え?!
その頃の私の気持ちを
わかってたの?
(イヤイヤ受けたのがバレていたことに驚きで…)
それでも
自分の気持ちを優先してしまった。。
って、
その気持ちも自覚してまで
私の受験先を押し通して
なおその頃の気持ちを
素直に話してくれた父を
葛藤していたんだなと
心から愛おしく思いました。
そして、そんな受験そのものも
時間やお金ももったいないと
当時もそれからも
周りから意見を言われたこともあるけれど
その頃の父の気持ちのことも思うと
その選択をした私も
こんな遠回りも
人生には無駄ではないのかもと
(私が受験したことで
ほんとにそこに行きたい
と思った方への影響も含めて)
この年になって
その時間や体験さえも
すべて愛おしく思える
人生には
ほんとに無駄がないんだと
父のことも私自身のことも
その時のことを
それでよかったんだと
心から思える
そんな一日でした。
こんな日がくるとは
あの頃は
微塵も思えなかったわ…