実は、少し前に
『胃潰瘍』になった。
人生初めての。
朝から、胃が痛いな、、と思いつつも
その日は休みにくい外来の日。
仕事をしているうちに
なんとか気が紛れて
なんとなく少し楽になったような気がして
帰宅して家にある薬を飲んで
今日は胃も体も休めようと思っていたけれど
なかなか薬の効果を感じない。
徐々に胃痛が重たくなり
寝ていても何をしていても
紛れることなく
夜間急病センターを受診しようか、、
でもこの時間は結局検査もできないし
(毎年胃カメラ検査受けていたので、翌日外来予約をしていた)
明日の受診時間まで
なんとかすごそう
と思っていたけれど
本当に耐え難くなってきて
家族に声をかけてみたけれど
私の声がか細かったのか
声は届かず
寝息を立てて寝ているから
起こすのも忍びない。
(こういう時に気を使う時点で、ストレスを溜める性質という見方もできる
だけれど、今はそれがいいとか悪いとかではなく。)
今まで何度か
胃炎を起こしたことはある
(ピロリ菌除菌治療もしたし、そんな時は落ち着いて丁寧な食事をしていたかというと、そう言えない感じだった)
明日の朝に受診はできるから、と
今の自分にできることは
とにかくこの状態を回復するのは
間違いなく自分の治癒力、回復力。
もしも胃でなければ
違う治療が必要になってくるだろうけれど
胃の粘膜がただれているのなら(まだ想像だけれど)
この粘膜がまた綺麗に再生することが
治癒すること
だから
真夜中ひたすら
胃の辺りに手を当てて
”こんな状態にしちゃってごめんね
いつも細胞を作ってくれて
整えてくれてありがとう
今こうしている間も免疫が働いてくれてありがとう”
自分で作ったこの状態を
手を当てて
心から思いを込めてひたすら感謝した。
余談だけれど
昔から治療することを
”手当て”と表現されるけれども
手当の意味はこういうことと聞いて本当に納得したし
診療の時に触れる時は
このことを意識しています。
自分で、自分のお腹に手を当てて
細胞や神経、一つ一つに感謝を込めていたら
いつの間にか寝ていて
翌朝少しだけ痛みが引いた感じがした。
気のせいでも
それは大切なことと思っている。
受診先からは救急紹介となり
(そこでは胃カメラはその日できないとのことで)
結局胃潰瘍だった。
でも、痛み発症した後にしては
治りかけていると言われた。
胃潰瘍といえば、
一般的にはストレス性
心当たりはあるけれど
ストレスを溜め込んで
いつもは心がけているのに
最近、パンを頻回に食べたり
仕事をするために
リーズナブルなカフェによく入ったりしていた。
(私は、カフェインという括りよりも
特にコーヒー豆によって胃に触る)
そして、つい口にする
小麦のグルテンは
消化や粘膜炎症に影響するので
人それぞれに摂取限度がある。
それをわかっていながらも
最近グルテンやあまり飲まない種類のコーヒー摂取多かったな、、と
そこも心当たりがある。
忙しくて
食事に時間かけられなかったり
気持ちのストレスもだけれど
それにより
生活の振る舞いで
自分で消化管にもストレスを与えていたと思う。
何が悪いでもなく
誰が悪いでもなく
不調は
そんな状態よ、、、
気をつけて!と
身体から自分自身にお知らせしているだけと思っている
私はそう解釈しているし
そのサインをスルーしていると
ここまでなっちゃうのよね…
と我ながらわかっているのに
行動を見直そうと思うほどに反省した。
(痛かったから、、、泣)
例えば、それは
自分としてはキャパオーバーかな、、と感じても
わかっていても
その後の調整込みで取り組むか
それとも本当は嫌なのに、、と思いながらも
渋々取り組むかでは
それが心身に負担をかけすぎることなく
大丈夫かどうかは
最終的には身体が教えてくれる。
と思っています。
わかっていながら
私も胃潰瘍まで作っちゃったな、、と
このことがまた
いい経験になった。
いい経験というのは
起きたことはもう仕方なく
起きることは必然であり
それを悔やむよりも
その出来事から学び活かすことが大切で
(内容にもよるけれど)
起きたことはなくすことはできないから
『1秒でも過去のことは学びと感謝に』
と以前教わったことを
また今回もこうして思い出した。
今、しっかりと整えて
少しでも早く
心身のパフォーマンスを上げたいから
コーヒーもグルテンもアルコールも
控えている。
またそのうち
コーヒーもパンも、程よく楽しむけれど
そうしたら
やはり回復の一途にあることもあり
身体は軽くなるのですよね・・・
最近の私のコンディションと取り組みのつぶやきでした。