今日は弟の命日。
もう30年近くも前のことですが、16歳の時にこの世から去りました。
その年に私は大学に合格して、初めて実家を離れて他県で一人暮らしを始めて2ヶ月目。
真夜中にバイクで遊んでいて事故死でした。
その頃、やんちゃで周りの大人を困らせていました(大人から見たらやんちゃでした…)
でも本人の目から見える世界では、きっと一生懸命生きていたんだろうな。。
私は初めて実家を離れて、友達や知り合い誰もいない新地に適応するのに精一杯だったのか、弟の死に何も手につかないほどの衝撃を受けた記憶がありません。
だから忌引きで新幹線で鹿児島まで向かっている間も、私は冷酷なのか、、、?と自分に疑問を感じたことを今でも覚えています。
でも、それほど私も自分のことでいっぱいだったんだなぁと今では思います。
真夜中寝ているときに警察からの電話を受け、事故で崩れた弟の身元確認を命ぜられた両親の心境は、筆舌に尽くしがたいものだっただろうと本当に思います。
今でこそ、「あの時はね…」「今生きてたらどんなかな」と穏やかな気持ちで話題にもできるようになったけど、そうなれるまで特に母はどれだけの年月とエネルギーを費やしたか…です。
年子の弟や私とは違って、今は亡き末っ子のその弟は本当に勉強が嫌いだったようで、でも我が家には珍しく陽気なはっちゃけ男子でした。
気が優しくて天真爛漫で、人に気を合わせていたところがあるので、大人になっていたらむしろ心配事多かったかもねと母とそんな話もよくします。
とっても喧嘩していた分、なんでも話せるほど仲も良くて大好きだったなぁ。
今でも思い出すのは3人兄弟でおやつを分けるときに、特に丸いピザみたいなものを綺麗に3等分するのが難しくて猛烈な喧嘩をして怒られたり拗ねたりで結局食べれない…みたいな場面ばかりでした。
もっとたくさん譲ればよかった。。
なんて大人になった今だからそう思えるしそれもできるのに、子供の頃は自分の分を確保するのに真剣に競ってたから笑
弟が亡くなったと思われる時間、たぶん弟は私に挨拶に来ていました。
夜中まで大学の女子寮の食堂で数名と勉強していて、ふと一人になった瞬間に、頭の上を蝶々のように何かが通った気がしました。
建物の中なのに?となんども見上げたことを、弟の知らせを受けてからあれはやっぱり気のせいじゃなかった。と思ったことがありました。
それもあって、あの時はほんとごめんね、まーくん。。元気にしてる?とよく今でも空を仰ぎます。
弟の命日が来るたびに、これまで産婦人科の仕事をしていて感じるようになった気持ちをよく思い出します。
生きる形にならなかったさまざまな流産や死産にも出会い、私自身の体でも数cmくらいまで成長した小さな命の自然流産の経験もありました。
どんなに豆粒のような赤ちゃんで心拍が終わったとしても、そのわずかな期間とエコーにしか映らなかった姿が生きている私たちに与えたさまざまな感情や影響は計り知れず。
小さな豆粒のような命がどれだけたくさんの大人に家族のこと、経済のこと、仕事のことなどを考えるきっかけを与えてくれるか。すごい影響だと思います、本当に。
弟が16歳で亡くなった時、かわいそう、気の毒に、幸せだったのかな…、気遣いやいろんな気持ちで多くの方が言葉にして下さいました。
生きた期間、終わり方いろいろだけど、その命がくれるものって計り知れないとつくづく思います。
ほんとうに感謝ばかりです。
まだ空にいるのかな。
どこかで生まれ変わっているのかな。
命日はいつもよりあの喧嘩の時はごめんね。とありがとうをたくさん思い出す日です。